”伊藤幸弘著「体当たり子直し」より” 2007.9.16(sun)
 1.非行の三要素 「あまったれ」「さびしがりや」「わがまま」
 2.過干渉は子供を歪めるが、過保護は子供を育てる。
 3.「シャツを着なさい」と言った時、子供は手と首を同じところから出して着
   てしまった時、親が「なんでそんなことできないの?」と言って、あれこれ
   また指示するのが「過干渉」。たとえ首のところから手が出ていても、その
   ままにして、不自由でどうしようもなかったら子供に考えさせ、それ以上の
   ことはしないのが、過保護。過保護に育てると、子供はある時、「もう結構
   です。」とそこから出て行く。その時に子供は親の手から離れていく。
   これが、「依存から自立へ」。
 4.幼児期のしつけが大切。非行というものは、幼児期の些細なことの積み重ね
   の結果。特に日常的に一緒にいる時間の多いお母さんは、子供の行動を見て
   いてまどろっこしいので、ついつい手を出して先やってしまう。子供の目を
   見ただけで、何を要求しているのかがすぐわかるからである。これを続けて
   いくうちに、子供が要求していないのに勝手に「よかれ」と判断するように
   なって、いろいろと干渉するようになり、「おしつけ」になる。
 5.子供は親が考えているよりも感受性が強いものである。「こうだ!」と決め
   付けられると、もう親に甘えることができない子供もいる。
 6.子供が寂しいときに愛情を注がないで、自分も都合のよいときだけ話し掛け
   る親では、子供は親をうるさく思うのは当たり前である。自分の話をよく聞
   いてくれて、そこに依存できる親子関係があれば子供は親に暴力など絶対にふるわない。
 7.親は我が子をどんな人間に育てようかという長期の目標を持って育てること。
  8.子育ては、親自身の価値観なり、人生観が全部、鏡に映し出されるように表
   れること。子育てではなく「自分育て」、育児でなく「育自」である。
 9.子供は花、親は根っこ。「親ほど損な商売(=見返りを期待しない)はない。」
 10.若者が茶髪にしたり派手なスタイルにしたりするのは、自分自身の存在を
   アピールするためである。特に学校の勉強でアピールできない子は、違う方
   法で自分自身の存在を主張するしかない。それが部活動でも趣味でもいいの
   だが、一番苦労しないですむのがファッションであるため、多くの子がこの
   簡単な自己主張の道を選ぶ。
 11.子供との約束事は絶対に守る。子供がルールを破ったら怒る。しかし、破られた事実に怒る。
 12.子供の理由をわかろうとせず、大人の論理や感情、立場で押さえつけると、
   子供の親から離れようとする力は次第に強くなってくる。
 13.家族は選べないが、友達は好きなように選べる。
 14.自分に自信があれば、本音も何でも言える。何でも言えれば非行に走らない。
 15.好きで悪くなっている子は一人もいない。最初から弱い者をいじめたいと
   思っている子もいない。
 16.非行に走るとき、子供は幼児に戻っている。そんな時こそ温かく包み込ん
   で、目標を一緒に探してやる。喜びも苦しみもともに味わう親子関係なら、
   
子供はルールからはみだすことなどない。
 17.幼児性―自分のストレスを解消したいため、自分の世界に依存したいため
   にだけで問題行動を起こす。わがままに育ったため、親に言いたいことを言
   い、気に入らないと暴力をふるう。
 18.少年たちが悪い意味で自分本位になっているときは、目から火が出るほど
   叱る。わがままであればあるほど、叱るときは徹底しなければならない。彼
   らは叱られた恐怖感から自分本位のわがままな感情を静めて、ごく普通の人
   間的な感情を表すことができるようになる。
 19.本当に親が子供と向き合って、その係わり合いの中で子供がまともになっ
   てなっていくのが一番いい。真剣に子供と向き合う姿勢を持った親に、子供
   が手を上げることはまずない。子供は親の姿勢をしっかり見ている。
 20.父親は逃げないでしっかり一家を守れ、母親は愚痴ばかり言わないで一家
   の太陽となる努力をしなさい。
 21.元のように戻ってまじめに進んでいくだけが更正ではなく、曲がったまま
   でも自分なりに力を出し切って生きていくのが更正だ。
 22.時には親子が距離をあけて、お互いに見つめあうことも大切である。
  *これらは、この本のごくごく一部の言葉です。是非お読み下さい。

 

”マザー・テレサの言葉” 2007.10.18(tue)
 昨日17日の静岡新聞朝刊第5面「教育@しずおか 自立ってなんだ?」に、マザー・テレサのこんな言葉が引用されておりました。
宗派に関係なく、世界中の貧しい人たちのために尽くしたマザー・テレサが日本を訪れた際、あるホームレスの多い地区を視察し、
「この国に貧困はない。あるのは『孤独と怠惰』です」と漏らしたそうですね。20年以上前の話です。孤独−昨夜から今朝にかけてある
少女の話に耳を傾けてきましたが、確かにと感じます。勿論ご両親が揃って、経済的にも物理的にも何不自由なく育っていますが、いや
たった一つ、精神的に孤独なんですね。ご両親が気づいてくれない孤独な余りに、「家に居られない、死にたい」と訴える。あるいは、この
世に生をもうけてからこの方、いがみ合い、ののしり合う両親を横目で見ながら、温かい一家団欒のホームドラマに浸たり、孤独を癒す
少女。怠惰ー勿論これは、前にも書きましたが、豊かさがもたらした現象の一つですが、激しい飢餓にあえぐアフリカやインドの人々を長
く見てきた彼女の目には、高度経済成長時の勤勉が皮肉にも怠惰を産んできたと映ったんです。新聞の筆者も書いておりますが、怠惰
に負けてしまっているんでしょうね。