福岡県民の皆様、アビスパ福岡の故郷・藤枝市民と産みの苦しみを分かち合い、
藤枝で芽生えたサッカー文化を福岡で立派に咲かせるために、アビスパ福岡を皆様の
市民球団として、立派に育て上げて下さい!
2009.4.23(thu)
 人の子であれ、Jリーグチームであれ、その育ての苦しみは、その産みの苦しみを経験した者こそが、その苦しみが深い愛情となって克服できるものだと、
30余年もの間、サッカーチームのみならず、非行、不登校、引きこもりといった様々な青少年達と向き合ってきました私は強く感じております。しからば、今の
アビスパ福岡存亡の危機に際し、大変失礼ながらまさにその産みの苦しみをご存じではないアビスパ福岡のスタッフの皆様、選手の皆様、ひいては140万人
もの福岡県民の皆様に、その苦しみを分かち合って頂き、ここでなんとか皆様のお力でアビスパ福岡を生き返えらせて頂きたく、藤枝の地で20年余の間この
チームの虜になって応援してきた者として筆を執りました次第です。勿論、その「産みの苦しみ」は、1982年の中央防犯サッカー部創部以来、静岡県社会人
サッカー中西リーグ3部から1994年のJFLまで、11年もの長きに渡り各リーグを戦い抜いてきた数多くの選手達の想いであり、またその中でJリーグ入りを直
前にして菊川総監督(当時)が断腸の思いで藤枝に残してきたまさしくJFL戦士達の、またそうした選手達と共に、中央防犯サッカー部→藤枝ブルックス→福岡
ブルックスを懸命に応援してきたご家族、社員の皆様、そして、実に多くの藤枝のサポーター達の、厚く熱い、かつどうすることもできない無念な想いであります。
その中には、無念の思いのまま天国に召され、声も出せずにじっと見守っている二人のサポーターがおります。創部2年目からこのチームを率いて、そうした数
多くの人々の想いを背にずっしりと背負い、「藤枝で芽生えたサッカー文化を福岡に」と福岡に渡ってきた菊川先輩を始めとする藤枝ブルックスのスタッフ達の想
いが、ここ福岡の地深くに葬りさせられるのを、私は黙って見ていられないのです。ここで、福岡の皆さんに問い正したいのです。1993年の、あの福岡県民50万
人もの署名は何だったんですか?それはJリーグチームを育てたいという署名ではなかったのですか?それは、その産みの苦しみを分かち合い、藤枝で芽生えた
サッカー文化を、福岡の地で大きく咲かせたいという署名ではなかったのですか?皆様、もう一度その時のことを思い起こして下さい。今のアビスパ福岡を生き返
られる力は、あの福岡県民50万人もの熱い想いです。あの熱い想いは、あの「産みの苦しみ」をも必ず分かち合えるものと信じています。福岡の皆さん、50万人
もの熱い想いが本物だったら、どうか立ち上がって下さい!勿論、私は、私のみならず藤枝市民達は、本物だったと信じています。私は、福岡県民の皆様があの
「産みの苦しみ」を分かち合うためには、遠く藤枝の地から私の知る限りのことはお伝え致します。そして、皆様、その苦しみを分かち合って頂き、アビスパ福岡を
生き返らせために、皆様と一緒に何ができるか、考えましょう!そして、行動しましょう!福岡県民の皆様、藤枝から福岡に渡ってきたスタッフ、各リーグを戦い抜
いてきた数多くの選手達と藤枝市民の願いだった「藤枝で芽生えたサッカー文化」をここ福岡の地で立派に咲かせて下さい。宜しくお願い申し上げます。

                                  元藤枝ブルックス後援会広報担当役員
 今度の日曜日26日、別件の仕事もあり、福岡に行きます。このことで福岡県民の皆様と語ってきます。福岡県民の皆様、宜しくお願い致します。